札幌大通地下ギャラリー 500m美術館

第6回札幌500m美術館賞

Award

500m美術館では、2017年度も現代アートの作品プランおよび企画プランのコンペティション「第6回 札幌500m美術館賞」を実施します。500m美術館のガラスケース(幅12,000mm × 高さ2,000mm × 奥行650mm)4基、全長48mの作品展示プランを募集。アーティストの個展、キュレーターによる企画展、作家同士のグループ展など、ガラスケース4基の空間を生かしたプランの中から最も優れた2組をグランプリとして選出し「500m美術館賞グランプリ展」で展示します。多くの応募をお待ちしております。

■ゲスト審査員
椹木 野衣(美術批評家、多摩美術大学教授)
藪前 知子氏(東京都現代美術館学芸員、SIAF2017企画メンバー)

■審査員
地家 光二(北海道立近代美術館学芸部長)
三橋 純予(北海道教育大学岩見沢校美術文化専攻教授)
山田 良(札幌市立大学大学院デザイン研究科准教授)

応募方法

応募方法・応募要項等に関する詳細につきましては、下記リンクよりダウンロードしてください。


応募先・お問合せ

有限会社クンスト(担当:佐野)

メールでの応募・お問合せ ※原則メールで応募してください。やむをえない場合は郵送も可。
※必ず応募要項をよくご確認の上、ご応募ください。

グランプリ

阿児つばさ/T

1991年北海道網走郡美幌町生まれ、兵庫県神戸市出身、在所未詳。社会に存在するシナリオの可視化、シンボルを制作する。近年の活動に、ツアーガイド「氷橋-夏-」(音威子府村、2017)、グループ展「船/橋 わたす」(奈良県立大学、奈良、2017)「アンキャッチャブル・ストーリー」(瑞雲庵、京都、2017)、個展「花路里と花路里 / PEGASUS /ど こ や こ こ」(3331アーツ千代田、東京、2016)、T個展「花路里」(Division、京都、2016)、ぽこぽこガール「 ぽこぽこアワー」(アートエリアB1 [大阪]、DANCE BOX[神戸] 、Division [京都]、2015)など。Tとして作者混在の制作も行う。
https://akotsubasa.xyz

Kit_A

1966年北海道生まれ、札幌在住。北海道教育大学大学院教育学研究科修了。
道端のロードコーン(三角コーン)の写真を撮り続けるロードコーンマニア。
近年の活動として、グループ展「つながろう~音の風景 」(地下歩行空間、2017)、ポンペツ藝術要塞(むかわ町穂別野外博物館、2017)、ハルカヤマ藝術要塞(小樽市春香山、2017、2015、2013)、帯広コンテンポラリー「ヒト科ヒト属ヒト」(帯広市民の森、2016)、 「マイナスアート」(帯広市旧みのやホテル、2015)、個展「Around The Rordcones」(ギャラリー犬養、2016)、「Around The Rordcones」(JRタワーArtBox、ArtBoxグランプリ受賞展示、2016)、HTBイチオシ祭りHUEラボワークショップ企画デザイン「はっちゃonドーム」(月寒ケーズデンキドーム、2015)、など。
https://www.facebook.com/roadconewith/
https://www.instagram.com/kit_a/

企画・作品に関する
お問い合わせ

有限会社クンスト(担当:佐野)

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入選

該当者なし

選評

椹木 野衣

美術批評家、多摩美術大学教授

「札幌500m美術館」という世にも稀な特質を十分に活かし、同時にこれまでにない展示の可能性を引き出しうる二人の案を選べたのではないかと思う。
いわゆるトラフィック・コーンの所在と形状に徹底してこだわるKit-Aのプランは、私たちの身の回りに常に存在し、そうであるがゆえにほとんど気づかれず、しかし実は私たちの行動を日々、かなり強く規制しているこのメディアについて、<見る者=通る者>がその展示と並行して通行することで、様々な角度から意識化することをねらいとしている。常に変化の最中にある都市では、私たちが目にせぬ日はないくらい、トラフィック・コーンはあらゆる局面で存在している。にもかかわらず、実はその名称さえ定かではない(三角コーン、カラーコーン、パイロン等呼称多数)。しかし、それらの働きかけは、法的な拘束力を持つ公的な交通標識にも準じるものを持っている。ところが交通標識と違い、トラフィック・コーンは、そうした拘束力とは裏腹に、量販店で誰もが購入できる安価な簡易性を備えている。いったいこれはなんなのだろうか? いつの頃から、どのようなかたちで私たちの生活に入り込み、これほどまでに増殖し、今日に至るのだろう。Kit-Aは、この謎といえば謎な媒体を、公的な空間でもあり、同時に私的な行動のための通過地点でもある札幌500m美術館という展示空間を活用し、それこそ「通過の過程」として展示する。地下通路はもともと経由のための空間であり、事実、そうした空間には常にトラフィック・コーンが存在している。会期中(展示設置中?)には本物のトラフィック・コーンがお目見えし、作業や工事で実際に使われるかもしれない。いや、そもそも展示のトラフィック・コーンと本物のトラフィック・コーンとで分けられるのだろうか? 考えてみれば、展示もまた一時的な視覚の仮設ではないか。考えれば考えるほど興味深い。
これに対し、阿児つばさ/Tは、氷を使った「橋」という原理的な通過性に着目する。阿児はトラフィック・コーンとはまったく対照的に、古くから寒冷地の冬には欠かせない通路としての氷という「通路」に着目する。トラフィック・コーンによって作られる仮設の通路が、石油化学製品といういかにも現代的な原材料の産物であるのに対し、自然現象に由来する氷の通路は、その起源をどれくらいさかのぼれるかわからないくらい古い、人と自然との接触面と言える。しかし両者は対立ばかりしているわけではない。トラフィック・コーンが一時的な仮設の通路として、用が済めばたちまち撤収されてしまうように、氷の橋も冬が去り、春が訪れればおのずと消えてなくなる。その意味で阿児の展示は、いにしえからの生活の知恵や技法を都市の最中で再現しようとするにとどまらない。そうした自然現象によって作られる氷=橋が、都市環境の中で消えていく=溶けていかざるをえない「現代」という環境について、改めて考えさせる。と同時に、私たちが古くから、そのように一時的でかたちの定まらない対象に生活を委ねてきたことを気づかせもする。会期中、氷はおのずと溶けていくだろう。だがここでは、溶けていくこと自体が、展示を通じて見せるための要素としてありうる。普通に考えれば、作品が溶けてなくなっていくことなど考えられないことだが、札幌500m美術館がもともと都市の中の通路=橋を兼ねているのであれば、そこは刻々と変化する場そのものなのであり、そういう場所での展示は、おのずと不変性を最大限に重んずる美術館とは根本的に違うものになってよいはずだ。札幌500m美術館もまた、季節に特有の現れては消える「橋」そのものなのだ。それは橋であると同時に両「端(はし)」を持っている。
今回、両者が選ばれたのは、あくまで個別に審査した結果としてなのだが、こうして考えてみると、この二人が同時に展示される場そのものが、ある種の相乗効果を持つのではないか。「Kit_A」の「A」は、おそらくトラフィック・コーンを模したものだろう。としたら「_ 」は路面かもしれない。その点では阿児も負けていない。「阿児つばさ/T」の「T」は、もしかしたら氷の橋の路面とその橋桁かもしれない。ならば「/」はその支えだろうか。確認したわけではないが、少なくともそこには、個人の作家だけでは制御の難しい人工〜自然の環境に対し、複数で当たろうとする「Team」性が透けて見える。今回の札幌500m美術館賞での二人の展示は、奇しくも、人が通路を通ることに対する「A vs T」、もしくは「_ vs /」(アンダーバー vs スラッシュ)をめぐる記号的・視覚的関心を強く喚起することになるのではないか。

選評

藪前 知子

東京都現代美術館学芸員、SIAF2017企画メンバー

500mも続くショーウインドー形式、そして都市のど真ん中の地下の歩行空間という、これ以上はないユニークな展示空間を使うことの必然性を、いかに提案に盛り込むことができるかが審査のポイントとなった。が、結局は、実現に賭ける作家の熱意が成否を決めた。道行く人の日常に異物を差しこみ、足を止めさせるのはなかなか高いハードルだが、それを可能にする力が感じられる二案が選ばれた。
阿児つばさ/Tの提案は、昨年、強い印象を残しながらも落選したものを、実現可能性を高めて再挑戦したものだという。地域の喪われた記憶を作品を介して可視化し伝えて行くというのは昨今の地域アートプロジェクトの一つの常套手段だが、その作法を踏まえつつも、そこからはみ出てしまう熱量が作品の力になっている。彼女は、10分の1スケールとはいえ、膨大な手間と物理的なあれこれをかけて「氷橋」を展示室の中に会期を通して出現させようとしている。それはなぜ、という問いが宙ぶらりんとなる地平に、「美術とは何か」の答えの輪郭が現れる。また、「T」という一字で結ばれた共作者たちとの恊働作業であるということも興味深かった。荒唐無稽に見えるアイデアも、複数で共有していくことで現実となっていく。フィクションが共有され、物語としてコミュニティの中に息づいてゆくプロセスを想像させられる。
KIT_A の提案は、ロード・コーンに魅せられた作家による渾身の展示。視認性そのものでありながら、社会的な慣習によりそれ自体は「見えない」存在であるロード・コーンとは、見えるものと見えないもののはざまに出現するアートという領域を、象徴するようなモチーフであると虚をつかれた思いがした。もともとは作家の強いフェティシズムから出発したものが、唯一無比のモチーフとして継続する中で、普遍性に到達していることも興味深い。
厳寒の空気を揺るがすような熱い作品の実現を期待している。